2012年1月3日火曜日

犬、哲学す


東京に戻る電車でクロを想う。
お正月、遊び相手はもっぱらクロだった。
彼は親類の家で飼われてる柴犬だ。


はじめのうちは…
遠く祭りの太鼓が近づけば狂った様に遠吠えする始末。
やかましいったら無い。

コイツ馬鹿だなあ。
なんて思ったりした。

だけど、まったりした正月の心象に映る田舎の風景の中でクロの瞳を見てるうちに、ふと、人間もあまり変わらぬ事をしてるんじゃないか?
否、それ以上の業を撒き散らしてるのではないかしら?
と、先々に置いてゆくクロの糞の始末をしながら思う。

それは正月の神憑りとも云える暗示なのだろうか?

クロの瞳は澄んで居た。
今にも吸い込まれそうだった。

なかんずく、人間はよ
気に入らぬ事があれば騒ぎたて、欲しいモノがあればわめきたて、くさいモノがあればふたをする。
そうではないかい?リュウスケよ
と、チラチラ振り返りながら、おっしゃられてる。


よっぽどクロは良い!
本能だけ
人間は煩悩だ。

そんな風に考え出したら、なんだか只の散歩でなくなる。
逆に俺が散歩して貰う感じになった。


去年の出来事である。
ほろ酔い気分の帰り道、一匹のガマガエルに遭遇した。
道の真ん中で、月明かりを一身に浴びている。
通せんぼか?

おい野郎!
と、ガマガエルを睨み付ける

しかし、野郎、
表情は哲学そのものである。
へのじに閉じたくち。
目玉はロンドンとパリを一度に見つめた様に互い違い。
しかもその瞳は、星に輝いて夜空の上にある宇宙を睨んでいるではないか
人間なんて歯牙にもかけない。

おらァ死ぬ気で哲学してんだ。
おめェなんぞどうでもいいけん。
しゃらくさい。
人間よ。

無言の問いかけと、不動の意識標示に俺は思わず、まいりました、となった。


クロの瞳の奥をのぞきこんだら、そんな想い出がよみがえったのだ。

世間ではだいたい明日から一年が始まる。
俺も一年が始まる。

また来年も散歩に連れてって下さい。
と、クロを想う。


リュウスケ

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